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2009年6月30日 (火)

三島村の続きを・・・

 前回の続きを・・・。

今すぐに三島村には行きたいというわけでは無い。ただ仕事が忙しい中、いつか訪ねてみたい地名を、インターネットの検索エンジンに入れて、バーチャル旅行を楽しんでいるだけだ。しかし、色々と調べていくと、この島たちの魅力にとりつかれて、行きたいという気持ちが高まってきてしまう。危ない、危ない。

それでは、今回もこの村を探っていこうと思う。

この村の村民の数は?

平成17年の国政調査では467人。集落が二つ有る黒島が一番多くて239人、続いて硫黄島が140人、竹島が83人。つまり鹿児島から出航した船は、竹島・硫黄島・黒島と順に寄港していくが、後に行くほど島民の数が増えていくと言う事か。と言うことは、一番最後にたどり着く黒島から薩摩半島をダイレクトに結ぶ航路が開設されれば、村民の約半数の方々が利便性が増すと事になる。

人口の増減だが、団塊の世代が中学生だった昭和35年は、1,300名以上の村民を数えたが、平成2年の国勢調査で504人だから、この15年の間で37人程度しか減っていない、ほぼ横ばい状態。また年齢層を見てみると、壮年人口も多く、高齢者の数も全村民の3割と少ない。私が今まで訪ねた多くの島々で叫ばれていた限界集落と違う活気のある島なんだろうなと想像できる。

郵便局の数は?

これが私にとっての一番の関心事。竹島に分室が1局、硫黄島に1局、そして黒島に簡易局と分室の各1局の計4局。各集落に1局か。結構有るな。

そして、気に成ったのが分室の振番。普通メイン(中心部)の方が若い番号が振られるが、この二つの分室では、竹島分室が78001A、黒島分室78001Bと、東京に近い方が若い番号が振られている。これって奄美や沖縄の振番に似ている。

村名の由来は?

戦前は、この島々はトカラ列島を含む十島村だった。戦後トカラ列島が米軍の占領下におかれたことにより村を分断する事になり、日本の帰属する3島が三島村として独立したそうだ。え!この村も戦争の影響を受けているんだと思った。

特産品や食べ物は?

特に竹島・硫黄島は島全体が竹で覆われていてタケノコが名産品らしい。タケノコと言えば、関東では春の食べ物だが、竹島では一年中収穫出来るらしい。どんな種類なんだろう。海産物は今ひとつ判らなかったが、南海の孤島だけあって期待は持てそう。

島おこし

この村の特徴の一つに積極的な島おこしへの熱意を感じた。有名な歌舞伎役者を島に招いたり、ヨットレースの行事や、西アフリカの打楽器を使ったジャンベスクール、冒険ランドいおうじま等の永年事業など各種盛んに活発に行なわれているようだ。

島に行くには

鹿児島から定期船が出ている。そして村のホームページで船の情報を探すと、すごい資料を発見。

次回に続く

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