さようなら 8000系

2008年2月10日 (日)

今、8001は

先日の東横線8000系イベントで購入した「公式パンフレットの復刻版」を読んでいたら、8001に会いたくなった。

8001編成は現在大井町線で元気に走っているが、2月末に大井町線の信号機(ATSからATC)の切り替えが予定されており、それに伴い今月中に引退の可能性が高い。そこで今朝早起きして写真を撮りに出掛けた。昨晩雪が降ったので、なごり雪の中の走行写真が撮れるかなと期待したのだが、あいにく積雪にならず残念。

2002_135 中延駅にて

アポロ11号が月面着陸を果たした1969年(昭和44年)生まれの8000系。その当時幼稚園生だった私にとって、月に人類が行く事よりも、目の前を行くこの車の方がずっと魅力的だった。

2002_096 荏原町駅にて

デビュー当時は、シンプルすぎるデザインに物足りなさを感じたが、それから39年立った今、この車両を見て思う事は古さを感じない事だ。やっぱり、この車のデザインは優れていた。

2002_123 戸越公園駅近くにて

この車が出た年、池上線でATSが設置されて、東急の鉄道線全線でATS化が完成した。しかし、公式パンフレットの復刻版によると、この車両は、その安全システムから更に進んだATCやATO迄も考慮した設計だったと言うから驚く。

2002_066 緑ヶ丘駅にて

8000系と言えば東横線を連想するが、この車は、昭和44年11月から昭和50年3月まで5年ちょっと東横線に在籍したのみ。その後、車両不足や冷房電源の関係(8001のみ)で幾度か戻って来た事が有ったが、圧倒的に田園都市線(大井町線)暮らしが長い。そして気が付いたら昭和54年8月に大井町線改称後ずっと同線を走り続けた車は、この車だけに成ってしまった

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2008年2月 9日 (土)

東横線8000系さよなら運転(乗車編)

 渋谷駅での写真撮影をあきらめて、13時発の5000系特急の元町中華街行きに乗車。渋谷駅から特急に乗るのは久しぶりだ。横浜駅まで24分の走り方を見てみようと運転台の後ろに立つ。東横線はご存知の様に渋谷を出て少し走ると、山手線を超える並木橋の制限速度40kmの直角に曲がる急カーブが有る。この区間にさしかかると、特急はスピードダウンに成らぬ様に、頻繁にノッチのオンオフの繰り返しながら通過していく。東横線でこのような操作をするのは珍しい。そして、カーブを抜けると、今度は渋谷駅地下化に向けての工事区間。なかなかスピードが出せない。さらにカーブしながら代官山駅通過。見通しが悪くホーム幅が狭い場所だ。下りホームの渋谷寄りの部分は、さよなら運転に対してロープを張られていて立ち入り規制がされていた。最初の停車駅の中目黒駅発車後、駅構内の速度制限区間を抜けると、いよいよ特急の本領発揮で急加速しながら坂を登って行く。しかし、5000系は100kmを超えると揺れが激しくなってくる。この車より8000系の方が高速走行時に安定感が有ったと思う。しかし、なんで渋谷横浜間24分運転に成った時から特急に使用出来なくなったんだろう。これぐらいの走りだったら特別問題無いと思うし、連続高速運転が問題なら、同じシステムの田園都市線の8500系急行の方がタイトだ。又、加減速で言うなら、例えば自由が丘駅から菊名駅間が、1駅停車の特急が所要時間10分。それに対して急行が5駅停車で13分。その差わずか3分。停車時間とそれに伴う加減速を考えたら、どう考えても急行の方がきつい。内装だって車両更新をしているし・・。「8000系引退の時期が早すぎるよな」と思っていると、じきに横浜駅にたどり着いた。

 横浜駅で下車しグッズ売り場を目指す。手に入れたいのは、8000系デビュー時に作成された「公式パンフレットの復刻版」だ。売り場に着くと長蛇の列。パンフレット購入後、駅前のカメラ屋に行ってカメラ電池を買って、最後の8000系に乗車と思っていたが、甘くは無かった。これじゃ8000系に乗れるかも妖しい感じだ。最終列車乗車後に戻ってきてから買う事も考えたが、この人出だと売り切れてしまう心配が有る。とりあえず発車時間の14時5分まで後40分弱。時間を気にしながら並んでみる。列は5列でゆっくりした流れで進んで行き、冷や冷やハラハラしながら、発車5分前に手に入れる事が出来た。

 そして、急いで再び改札を抜けて横浜駅の地下ホームに駆け下りる。ホーム着くと、ちょうど8000系の一本前の急行が発車するところだった。もう、すでにこの時点で、人があふれており鉄道ファンの熱気と興奮に包まれていた。やがて、新高島駅方向から電車の音。フラッシュをたくファン、運行の安全確保の為にフラッシュを制止する駅員の中、最徐行しながら最後の営業運転の8000系が入ってきた。さすが車内は大混雑だ。やがてドアが開く。車内からは若いファンが「乗るなの」大合唱。ここはいっちょ、昔 8000系の電車通学時に身に付けた乗車術で乗るしかない。ドアのかもいに手を掛け足はドアレールの上。ドアが閉まると自然に中に押されてすんなり乗車出来た。走り出すと、声しか聞こえないのだが、中学生位だろうか運転台の仕切り前の一人のファンが興奮状態で騒いでいた。ヤレヤレ。最後の列車を静かに乗りたい人たちも居るのに・・・。地上区間に出ると、滅多に鳴らさないタイフォンを繰り返し流しながら、ゆっくりとしたスピードで進んでいく。外に目をやると白楽駅の横浜寄りのホーム端には鈴なりの人だかり。さすが最終列車だと撮る人が数が違うと思う。そして、このタイフォンはファンサービスではなく、余りの人の多さに対する危険防止のタイフォンだと感じた。最後の停車駅の菊名駅に着くと、車内の若者が相変わらずの「乗るなコール」。中には車内放送を真似して「次の電車をご利用下さい」と叫ぶ少年までいた。おいおい、次はもう無いんだから、皆この電車に乗りたいんだよと思い苦笑い。さ~あ一丁やりますかと、ドア付近に立っていた私は、壁に手をやり車内ギュ~と押し込んだ。これで少し乗車口に空間が出来た。それでも車内に居た興奮したファンは「乗るなコール」。余りの騒ぎように年配者の声で「静かに見送ってやろうよ」と声が飛んだ。私はよく言ってくれたと感謝。そこの言葉で、車内は少し静かに成りドアが閉まり発車。しかし走り出すと、彼らは再び絶好調の興奮状態。オイオイ静かにしろよと思う私。綱島駅を通過すると、8000系の説明とこの編成が始めて特急に使用された話の車内アナンスが流れた。日吉駅の地下ホームを通過し、終着駅の元住吉駅に滑り込んだ時、車内から自然と拍車が湧いた。

 ドアが開きホームに。元住吉駅のファンの数はハンパでは無かった。まともに歩けない程の人の中を泳ぐように抜け改札に向かった。最後に目指した地点は関東労災病院前の踏切。ここで東横線最後の8000系を見届けようと思った。やがて8000系は元住吉駅から回送して武蔵小杉駅で折り返して、渋谷駅方向から高架線を下って目の前の車庫に向かう線路を進んできた。これで、もう東横線で8000系が見られないと思うと切なかった。そして先ほどの喧騒とはうって変わって、静かに数人のファンに見守られながら目の前を横切っていく。カメラは肩からぶら下げているが電池切れで動かない。いや、レンズ越しではなく、こうやってじっくり見送る事が出来た方がかえって良かったと思えた。そして、1両づつ確認しながら去り行く光景を胸に焼き付けた。

 

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2008年2月 6日 (水)

東横線8000系さよなら運転(撮影編)

 東横線8000系のさよなら運転が行なわれた、1月13日は曇天の今一つの天気だった。この空模様だと、200万画素のデジカメだと走行写真はチョット難しいかなと思い、ニコン一眼レフの銀板カメラを押入れから引っ張り出してきた。此処のところ、デジカメで撮っていたので、この一眼レフに触れるのは半年ぶりだ。

 そして、最初の撮影場所の都立大学駅のホームに11時10分過ぎに立つ。渋谷方面の上りホームは結構写真を構ええている人達が多かったが、こちらの元町中華街方面の上りホームがカメラを持った人はいなかった(ラッキー!)。しかし・・・。渋谷寄りのホーム端に立って、カメラをのぞくと、なん、なんと・・・。目黒通りのカードの防音壁が障害に成って渋谷方向が見えない。仕方ない。ホーム中程から撮る事に。最初に各駅が行き、次に急行が通過して行き、いよいよだ。少し緊張気味に待っていると、8000系が手前の学芸大学駅を通過したとの肉声放送が。(なかなかのサービス)。そして、タイフォンを鳴らしながら、ゆっくりとした速度で近付いてきた。あれ?正月見た時となんか全面が雰囲気がちがうぞ!そうだ、普段のLEDの方向幕から字幕に変っているんだ。そして頭と後ろをカメラに収めた。

 そして、次の各駅で自由が丘駅に。特急に乗り換え、運転台でかぶり付きで人の出具合が確認してみるが、撮影の名所の自由が丘駅の先、歩道橋付近では多かったが、まだまだこの時点では少なめで、驚いた事に、多くの人出を予想していた新丸子駅の上りホーム等では、カメラを持った人を見かけなかった。そして元住吉駅で8000系を追い越し、菊名駅で各駅に乗り換えて妙蓮寺駅に。

 妙蓮寺駅も、線路沿いには人が多かったが、下りホームの渋谷寄りでカメラを構えている人はおらず楽に構図設定が出来た。

 撮影後、元町中華街で折り返した渋谷行き8000系を線路脇から狙おうと思い、改札を出て白楽駅方面に旧綱島街道を歩いて行く。菊名駅から白楽間は殆どが地上区間の上、カーブが多く、8両編成だと最低1両はカーブにかかり、アップダウンも有るので、変化にとんだ写真が撮れる人気スポットだ。その中でも人気が高いのが、菊名駅を出てすぐのポイントと、妙蓮寺駅から白楽間のほぼ中央地点で大きくカーブする地点だ。暫く歩き左折し踏切を渡ると、後者の場所が見えてきたがもうすでに人であふれかえっている。仕方なく手前の歯医者前でカメラを構える。しかし、カメラを覗いて見ると以外といい構図で撮れそうだ。あとは下り線側から上り電車の撮影だけに、下り電車が被らないように祈るだけだ。やがてゆっくり8000系がタイフォンを鳴らして近付いてきて、下り電車に邪魔される事なくカメラ撮影が出来た。

 そして白楽駅まで歩き、各駅に乗車後菊名駅で急行に乗り換えて渋谷駅に。渋谷駅に着いてビックリ。8000系が止まっている4番線が黒山の人だかり。とても撮れる状態では無い。どうやら、前回の8039Fのさようなら急行運転時に行なっていた、人の流れの整理が出来ておらず滞留してしまっているようだ。それでも、なんとかカメラを向け撮ろうとしたら・・シャッターが下りない。エッ・・。電池切れだ。

それでは、続きは次回に。

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2008年2月 4日 (月)

東横線8000系さよなら運転(ダイヤを楽しむ)

昨年末に、東急のホームページ上に東横線8000系さよなら運転」のお知らせが載った。ついにこの時がやってきてしまったか・・と言う思い出で、記事に目を通した。

まず運転ダイヤは下記のとおりだった。

  • 渋谷 → 元住吉 → 元町中華街
  • 11:08    11:28 / 11:31          11:55
  • 13:08    13:28 / 13:31           13:55

  • 元町中華街 → 元住吉 → 渋谷
  • 11:56             12:21/12:24 12:44
  • 13:56             14:22 (元住吉行き)

そこで、ダイヤを楽しみ、見て(写真を撮って)、乗って、お別れの時を過ごしたいと思った。

ダイヤを見ると、8000系のさよなら運転列車は特急運転だが、元住吉駅で上下とも打ち切られている。定期特急の退避の為だ。次に元町中華街駅では、わずか1分で折り返す。通常の特急も1分で折り返しているが、イベント列車となると遅延が見込まれるだけにタイトだ。しかし、よくよくスジを見てみると、2分後に追いかけてくる急行と横浜駅から先のみなとみらい線内では平行ダイヤが組まれている。急行は、馬車道駅、日本大通り駅に止まっていくが、8000系のさよなら運転列車は通過だ。なるほどね。ここに余裕時分を持たしているんだ。だったら、少しスジを立てて折り返し時分を長くすれば良いのにと思われるが、元町中華街駅は1面2線の構造。ゆえに折り返し時間を長く取ると、定期列車の着番線の変更や、構内待ちで遅れが出てしまい難しいようだ。しかし逆に渋谷駅では24分も止まっている。1サイクル前の1253分に出すと、30分毎に乗り入れてくる東京メトロ直通に当たってしまうからだ。ダイヤが込み合っている東横線では、たった1本の臨時列車を走せるだけでも、なかなか苦労が有るようだ。

次に、どう見て(写真を撮って)、どう楽しむ(乗る)かだ。そして、横浜駅では12時から「8000系の登場時復刻版パンフレット」の販売も有る。これも手に入れたい。

まずポイントに成るのは、先ほど書いたように8000系のさよなら運転列車は元住吉駅で定期特急に抜かれる。この特急を上手く利用すれば、2回の写真撮影が可能だ。その為には、8000系のさよなら運転列車を撮影後に、すぐ後続列車で追いかける必要が有るのでホーム上での撮影に成る。武蔵小杉駅から渋谷寄りの駅で写真撮影に適した駅を探してみる。まずは武蔵小杉駅。この駅は渋谷方はアンテナが有って写真が撮りづらく、横浜方はホーム上に建物が在って無理。新丸子駅、多摩川駅は、目黒線との複々線区間だけに複数の電車が一緒に写せる可能性の有る駅だが、先端部が狭く早めの場所取りが必要に成るのでパス。田園調布駅は、地下駅に成りフラッシュが必要だからダメ。代官山駅の渋谷方はカーブしていて良い構図なのだが人が集中しそうだ(当日は安全の為に立ち入り禁止に成っていた)その結果、撮影候補駅は祐天寺駅、学芸大学駅、都立大学駅の三駅に絞られた。

そして、定期特急を利用して、8000系のさよなら運転列車を元住吉駅で追い越し、次の停車駅菊名駅の以降だが、こちらも駅のホーム幅が無いなど条件が厳しかった

その他乗車区間や数量限定のパンフレット購入時間を含めて、色々と考えた末、当日の行動移動は下記の内容に成った。

都立大学駅で写真撮影 →(各駅、特急、各駅利用で移動)→ 妙蓮寺駅で写真撮影 → 白楽駅~妙蓮寺駅間で上りを撮影 → (各駅、急行利用で移動)→ 渋谷駅で撮影 →(特急で先行)→ 横浜駅でパンフレット購入 → 最終列車を横浜駅から元住吉駅間で乗車

それでは、いよいよ当日の話を次回以降に書いていきたい。

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2008年2月 2日 (土)

8000系の優等列車初使用はいつ

、8017Fは東横特急が設定された時、に、一番列車に使用されたのは有名な話だが、では8000系が最初に優等列車(特急、急行、快速)に使用されたのはいつかを、時代を遡りながら、今日は探っていこうと思う。

まず8000系の東横急行専用編成が組まれたのが昭和556月だ。この時は、新玉川線開業時に中間に組み込まれていたクハ8000を捻出する為に、同年3月に8517F8520Fに新造のサハ8900を組み込むクハ8033~クハ8036を東横線に戻し、同じく新造のデハ8100+デハ8200+デハ8100(言わば新8000系グループ)を組み込んで5連構成2本を作った。そして従来から東横線を走っていた8007F共に、6月に新形式サハ8300とデハ8200を組み込み7連化し急行専用編成3本が誕生した。なぜ3本かと言うと、この組み換えにより捻出した中型8連324両(7023F7037F7055F)を64本に組み替える数合わせの数値だった。しかし夏を前に、非冷房車の8007Fにニセ冷房車の新造車を組み込んで、急行に抜擢している所から推測して、東急はまだその当時冷房化に感心が薄かったようだ。

ちなみに、東横線の大型車の急行専用編成はこれが最初では無い。前年に8500系による専用編成が存在していた。その時の状況にふれるてみると、昭和54812日に田園都市線の運行形態が変更に成り、以前はつきみの駅から大井町駅が田園都市線だったのが、つきみの駅から二子玉川園までが田園都市線に成り、原則全列車が新玉川線を経由して半蔵門線に直通するように成った。そして二子玉川園駅から大井町駅間が大井町線と名称を変えた。その時車両の大移動が行なわれ、東横線を走っていた8500系は田園都市線に戻し、また同じく東横線を走っていた5000系の多くは5連に組み替え大井町線に移動する一方、それまで田園都市線を走っていた5000系以外は5連化が難しいため、6連化(一部急行用に8連化)して続々と東横線に移動してきた。そして、8000系デビュー後初めて5000系以降の新系列総ての車種が東横線に勢ぞろいし、ファンはもとより利用客にとっても、青蛙からアルミカー迄多種多様なバラェティーにとんだ車両が揃っていたので、次に何の電車が来るか楽しませてくれていた。しかし、今まで組んだ事のない編成が殆どだった上に、制御装置の読み替え装置を付けてまで8連構成した6000系の試作編成や、7000系の日立 東洋の併結編成迄いたりしたので、子守りする元住吉の車庫の大変だったようだ。そこで、半蔵門延長用に増備した8530 F6連を早期落成させ、組み換え予備並びに運行変更後の車両トラブル時の予備車確保用として、夏休み一杯東横線に滞在した。しかしこの編成、田園都市線用から一時転用だったので、当然、各駅使用時の代官山駅のドア非扱いスイッチが付いていなかった。したがって急行以外では使えなかったのだ。

更に遡り、昭和50年に80006連が10本を数えるように成ると、平日の日中急行515355運行を、ラッシュ終了後に元住吉臨時停車させ、中型8連から大型6蓮に車交し、3往復程度したのち再び夕方中型8連と車交した。この間合い使用は夏休み時は終日運用をこなす上、年々増えて行き、最大時は朝のピーク時を走る54運行以外総てが大型6連で走った時も有った。

そして、もっと遡り80006連が登場した昭和49年に。8000系は加減速に優れていたので、その当時もっぱら各駅専用に使われていた。そして私を含め、鉄道好きな沿線の小学生の関心事は、いつ8000系が東横線の看板列車である急行に使用されるかだった。そんなある日、塾に通っている同級生から夜帰ってくる時に、急行の文字が光る電車に遭遇する話を聞かされ、もしかして・・の思いで、子供部屋の東横線が見える窓にへばり付いて見ていると、夜8時ちょうどに側面に急行の文字を輝かせて走り去っていく電車を見つけた。まさしく8000系急行だ。その時のものすごく感動した気持ちは今でも鮮明に覚えている。(8017Fの特急一番列車使用以上に感動したな~)

その当時の平日ダイヤは、日比谷線直通ダイヤに合わせる為に日中夜間15分、夕方18分ヘッドで急行が走っていた。その為、51運行は、夕方の混雑時前に渋谷発元住吉行きで入庫し、その後7時40分過ぎに再び元住吉から渋谷に向けて、夜の51運行として出庫し再び15分ヘッドに戻るダイヤが組まれていた。80006された昭和495月から、その夜の51運行に8000系が充当されるようになったようだ

そして、いよいよ優等列車初使用の時だが、常識的な線では、田園都市線に8043Fが投入されて快速初使用に成った昭和494月だと思う。しかし、8000系が6連化する以前は、7200系が東横線で中型6連で走っていた事を考えれば、ほぼ同等の輸送力をもつ80005連が急行使用されても不思議は無い。それでは「いったい優等列車運用は何時なんだ」と言う事に成るが、昭和49年以前は記憶も無く、資料も無いためこれ以上遡れない。どなたかご教授を・・。

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2008年1月31日 (木)

8000系がデビューした頃

今日は8000系がデビューした頃の東横線の様子について触れてみようと思う。

東急は昭和39年日比谷線直通以降の車両増備の中心は、昭和41年に開通した田園都市線の開通準備車と、その後の田園都市線の沿線開発による急増する乗客の対応に追われ、東横線には余り新車は廻って来なかった。しかし東横線も利用客が増える中、さらに田園都市の住民増加が混雑に拍車をかけた。田園都市の住民増加が「なぜ東横線に影響を?」と、思われるかもしれないが、新玉川線開業以前は田園都市から都心への流れは自由が丘乗換えの東横線利用が一般的だった。その増え続ける乗客をさばく為に、根本的な改善策が求められていた。その答えが、大量輸送を目的とし東急初の大型車両8000系の登場だった。時代の要請に答えるように登場したその車は、未来都市を走る電車をイメージしたダイヤモンドカットの洒落たデザインの7200系から一転して、輸送力重視の設計で作られ、限られたスペースで最大限の定員を確保するために切妻車として登場した。(全面の造作が無くなった事により、運転室の長さが短縮し、客室スペースを拡大する事が出来た)

そして8000系一次車5本が揃った昭和454月、輸送力改善を主眼にしたダイヤ改正が行われた。改正内容は、各駅運用に大型車投入と、その捻出車両による急行中型8連化だった。しかし、そのように東横線が緊迫した状況で有りながら、地上設備はまだまだ貧弱で、例えば日吉駅から桜木町駅間は追い越し可能駅が無く、終着の桜木町駅に向けて平行ダイヤが組まれていた。その為、改正以前は桜木町駅に着いた急行は各駅に、各駅は急行と種別変更を行なっていた。しかし、この改正による急行8連化により種別変更が出来なくなった。そこで苦肉の策として、桜木町駅の一駅手前の高島町駅で折り返す各駅の登場と成った。この形態のダイヤは、営団直通8連化による運転間隔に直しによるダイヤ修正(昭和46531日)を経て、菊名駅の退避設備が完成する昭和47年秋まで続いた。(参考に菊名改正以前に8000系の三次車が投入まで投入されていたので、高島町の方向幕は8029Fまで使用された。)ゆえに私にとって、8000系デビュー当時の思い出す光景は?聞かれれば、浮んでくる絵としては、眩しく光る車体に側面の濃紺のTKKの文字。クーラーキセを乗せているのに真夏に窓全開で走る風景。そして平日の朝しか見られなかった高島町行きの方向幕だった。おっと・・話しが脱線してしまった。

話しを元に戻して・・。このようなに、田園都市線の利用客の増加は、単に田園都市線の問題だけでは無く、東横線とも密接に絡んでいる。具体的には、昭和45年から48年にかけては、田園都市線は増発、列車本数の限界の東横線は各駅の大型車で乗り切った。その後昭和49年春、いよいよ田園都市線も朝間時24秒ヘッドの列車間隔になり増発が出来なくなり大型車の投入と成った。一方受ける東横線側は同時期に各駅の大型車6両化に踏み切った。これにより、戸越公園駅や代官山駅等でホーム長が不足し、編成中一部車両のドア扱い出来ない事態に成った。その後、田園都市線では大型車本数、東横線では大型6両編成、をそれぞれ増やしながら、輸送力の限界の中、一日千秋の思い出で新玉川線の開業を待ちわびた。

ちなみに、昭和45年に8両化した急行は70005本で、7023F7031F7037F7047Fの日立編成と、7059Fの東洋編成だった。増結方法は桜木町寄りに田園都市線より転入してきた2両編成をつなぐ方法だった。しかし初期は朝間時のみ8両だったのと、車庫の有る元住吉駅のホーム長が不足してので、2両の増結編成と6両の基本編成の間はホロが繋がれていなかった。そして8017Fを含む二次車の投入の捻出車は、主に営団直通編成(7000系)の増結に廻った。この時の増結車の組み込み位置は、急行のラッシュ増結に対し終日8連固定運用の為、主に先頭車2両を向かいあわせで、中間車代用の考え方の元67両目に組み込まれた。それにより急行運用の日立編成及び東洋編成で有りながら乗り入れ設備のない7059Fと、直通編成の東洋編成では車番の並び方が異なり特徴が有った。この事は再び6連に戻す時や7700系の改造にも、少なからずとも影響を与えていく事に成る。又この時に、7000系の試作編成の7001F7003Fが、7000系の不足を埋めるために東横線に戻ってくるわけだが、この編成のみ4+4構成で組まれた。特色有る編成と言えばもう一つ、この時7019F7029F2本の東急初の8両固定が登場している。こうように8017Fがデビューした昭和46年は、東横線に大きな変革が有った年だった。そして、この時組み変えられた7000系編成は、その後8000系の急行専用編成が現れた昭和556月まで10年近く大きく編成構成を変える事が無かった。その翌年以降に東横線に増備された8000系の増備車(三次車と四次車)の捻出車のほとんどは、田園都市線の輸送力増強用に5000系が転出いき、やがて東横線の各駅の主力はかってエースだった5000系からに8000系にバトンタッチしていった。

最後に昭和49年春、東横線沿線で交わされた小学生のくだらない話を一つ。A君が鉄道好きなB君に「なんで東横線の8000系は105両なんだ。」と尋ねた。B君が「5000系と数を合わす為だよ。」と答えた。そしてA君が「じゃ今度入る6両化の4両は」と質問すると、B君が「5200系が4両だからね」と答えた。その答えを聞きA君がB君に「さすが鉄道好きだけ有って知っているね」と納得し、更に、ところでB君「田園都市線にも20両入るって駅のポスターに書いて有ったけど・・・」と尋ねると、B君はすかさず「それはね6000系列が20両だから」と満足げに自信もって答えた。もうA君はB君を尊敬の眼差し。最後にB君は自信を持って答えた「次はねきっと7000系と同数の134両が入るんだ」。おいおい・・。しかし、後年B君の予想をはるかに上回り最終的には673両を数えたのは周知の通りである。

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2008年1月29日 (火)

8017の思い出

暮れから正月にかけて北海道から弟が出てきていた。元旦、お節とお雑煮を食べ終えて、弟とY500系列にはATSが付いているかで、論議していると、リビングの窓の先を走る東横線にコルゲート版が付いた電車が走っていった。8017Fだ。こうなるとATSはどうでもいい。臨時か定期か?渋谷に行って何時に折り返してくるか?と、私は東急の時刻表で、弟は携帯でそれぞれ調べに走った。弟が結論をだした。特急17運行。驚きだ。慌ててカメラを用意して写真を撮りに行った。待っていると、モーター音全開で一瞬にして走り去っていった。しかし、この興奮この感動は以前どこかで味わったような気が・・。そう、39年前この場所で8000系に出会った時の驚きに似ていた。

 

そして、この感動を味わった今、今日から暫くは、この8000系の事を書いていきたいと思った。郵便局目当て尋ねてきた人には、申し訳ないが大部鉄道色の濃い内容に成ってしまうが、筆者のわがままにお許しを・・。又、8000系達や鉄道好きの諸兄に失礼の無い内容にしたいと思い、曖昧な少年時代の記憶を本(鉄道雑誌等)で確認しながら書き込んだ為、感動を覚えた元旦から、だいぶ日数がかかってしまった。

さて本題に。東横線に最後まで残った8017F8019Fだが、いずれも昭和462月に東横線に8000系の二次車として投入された。姉妹編成だったが大きく違う点が一つあった。冷房の有無だった。何れもクーラーキセを積み外観上は相違ないのが、8017は準備車としてクーラー積載無し、一方8019Fは二次車の中で唯一クーラーを積載し東急始めて冷房車として登場した(この事が数年後、同じ二次車で有りながら6連化の時期が異なる事に成る)。なぜ、そうなったかと言えば、8000系の目的は地下鉄乗り入れに有り、トンネル内の温度上昇防止の意味合いから地下鉄内では冷房を使用しなという方針が有ったからだ。その為、昭和43年に京王と小田急で冷房車の運行をスタートしていたが、翌年(昭和44年)に登場した8000系の1次車は、次世代の通勤車を開発テーマに設計されていながら、そのような理由でクーラーキセも乗っていない完全非冷房車として登場した。だが、8017Fの登場翌年に誕生した三次車は全車冷房車としてデビュー。しかし四次車はより一層地下鉄乗り入れを意識した設計に成った為、再び冷房準備車に戻った。このようにクーラーキセが有りながら、利用者からは「ニセレイ」と嫌がれたが、もっともその後、東横線に一時転用された8500系列の一部の編成は、冷房機を積んでおきながら、電源の関係で使えなかったよりはマシだが。

 もうひとつ8017F8019Fのニセ話を。その後東横線の編成長が延び、いずれの編成も昭和58年に7両化された。その時、田園都市線に転用していた中間車を東横線に戻し82358236を組み込まれ、編成中8100M1)が2両、8200M2)が3両の異例編成が組まれた。つまり、新たに挿入された車はユニットを組む事が出来ずに、昭和60年にそれぞれの編成に81368138が組み込まれるまで、モーター車で有りながらサハとして使用された。

今日の話が長くなってしまったので、デビュー当時の話や、ワクワクした急行初使用の頃の話は、のちに・・・。

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